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  • たけのうち有美後援会

「打上げ街頭演説」全文

更新日:2020年7月1日


写真:マイクを持って最後の訴え

お出迎えしてくださった皆さま、ありがとうございます。

そしてご通行中の皆さま、お買い物中の皆さま、ご町内の皆さま、ありがとうございます。

9日間の選挙戦も終わりに近づいています。

私たけのうち有美が政治の世界、この道に行く、そう決めたきっかけ、それは30年間、保健室の先生として働く中で、出会った子どもたち、そして保護者、そしてその保健室で見せる子どもたちその保護者の苦しみは学校の中だけでは聞くことはできないと思ったことが大きなきっかけです。

養護教諭、この仕事は保健室で寄り添う、そばにいる、本当に誇りある、価値ある仕事だ、歳を重ねるたびにそう思ってきました。

しかし、どうしても学校の中だけでは解決をすることはできない、それを確信しました。

そしてその子どもたちの課題は、保護者が抱える課題でもあり、この社会の構造から生まれています。

そして学校の先生たち、自分たちがどんなに頑張って働いているか、どんなに大変な中で働いているか、これを外で大きな声で言うことはできません。

過労死ラインをはるかに超えて働く長時間労働の中で、とても頑張っている、この仲間。

これも改善していかなければ、誰もが過ごす学校という、誰もが経験するとても大事な場であるのに、なかなかこの解決が進んでいかない、もどかしい思いでした。


私たけのうち有美は、ただ一人の教育現場を経験している市議会議員、長谷川まもるさんの後継として、なんとしてもこの議席を引き継いでいかなければならない、本当に相当なプレッシャーでした。

長谷川さんが最初の4年間とても苦労したことは、頭では知っていました。

しかし、周りの人からその4年間何をしてきたのか聞くたびに、その議席を引き継ぐことができるだろうか、考えれば考えるほど、本当に不安な思いでいっぱいでした。

だから、考えないでやってきました。

そして10月からずっと、街頭演説を重ね、さまざまな政策、7つのまちづくりプランを訴えてきましたが、やはり私の原点は30年間保健室で学んだことでした。

病気やしょうがいがあっても、それはその人の個性であり、その子の個性であり、けして否定するものではない。

まるごと、その子を尊重する、その人を尊重する。

けして支える、支えられるという、どちらかが支える側でどちらかが支えられる側ではないということ。

そして生まれ育った環境に左右されることなく、どの子も安心して学べる教育環境を作っていかなければならない、そのことを実感しました。

9日間、中央区内を素晴らしいスタッフとともにまわってきました。

本当はここで、声がかすれて「すごいよく頑張った」感を出すべきなのかもしれませんが、まだ元気が実は残っています。

この後もできる時間の中で、駅に立っていきたい、そう思います。

昨日も…昨日だけじゃないです、土日以外は夜遅く立ちました。

「たけのうちさん、ずっと一人で頑張ってきたから入れてきたよ」と知らない人にたくさん声をかけてもらいました。

一人じゃないときもあったんですが、一人だと思われていたのがラッキーだったようです。

今日この後も一人で立ちます。

それはどうしても、どうしても私たけのうち有美は議席を獲得しなければならないからです。

この30年の保健室の先生としての、このキャリアを捨てて、学校の仲間を置いて、対応中の保健室の子どもたちを置いて立候補をしたから、どうしても勝たなければなりません。

この後も皆さんの引き続きのご支援、そしてご支援の輪をここで終わりではなく明日投票に行く人、まだ残ってます。

たくさん残っています。

なんとしてもご支援の輪を広げていただきたい、そう思います。

そして家に帰るまでが選挙です。

家に帰るまでが遠足だ、皆さん、子どもにそう言っていたと思います。

家に帰るまでが選挙です。

ここで終わりではなく明日まで、投票箱のフタが閉まるまでご支援の輪を広げていただきたい、それが私からのお願いです。

本当に9日間だけでなく、長い間私が出馬を決めたときから、そしてここにいない方にも本当に感謝の思いを伝えたい、でもそれは当選してからにします。

なんとか明日まで本当に私たけのうち有美へのご支援、どうかどうか心からお願い申し上げまして最後の街頭演説とさせていただきます。

どうもありがとうございました。

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